Day.40 |
07/16-17:53-COM(0)-TB(0)-記憶 |
わたしの心はあこがれ出る
わたしがひたすらに愛するひとのほうへ。
もしわたしの欲望ゆえにあのひとからうとまれるのなら
それは私の本意ではない
その苦しみはいばらよりも痛く胸を刺すけれども
喜びがその痛みをなおすことだろう
J.Rudel 『遙かなる地の恋人よ』
月が誰かの口のようにニイと笑んでいる。
そんな夜の中で貴方は読んでいた本をぱたりと閉じる。溜息。沈黙。
物語の中を旅することは貴方にとって格別の快感と疲労をもたらす。
その余韻をたっぷり二呼吸味わってから貴方はそれを己の、旅をするものとしてはやけに小ぶりなその荷物の中に無造作に放り込んだ。
揺れる荷物の上の方で、そんな様を笑ったひとかげに手を伸ばす。
それらの新たな御伽噺と同じように桜舞い散る中、あの褐色の肌を持つ子供から譲り受けた
掌の上の白猿の人形を見て、貴方はただ少しだけ笑みを零した。
「ねぇ、俺のアリス」
その独白は静かに、闇の中へ消えていく。
誰も聞くものは居ない。その影絵人形を除いて。
けれどそのことを貴方は厭う事は無く、まるで眠り子に物語を聞かせるように声音を紡いでいく。
「……君はこの人形を気に入ってくれるかな。
ふふ、でも君はきっともうたくさんの人形を持っているのかな?
それとも人形なんかいらないと勝気な瞳で俺を見るのかな」
温度を持たない指をその人形に触れさせると、かたりとその人形が動く。
ぱちぱちと辺りに破片を撒き散らすそのかがり火に照らされて地面に投影された影がぬらりと大きくその腕を動かした。
「でも、……それじゃあ困るな。だって、これは俺が君のために手に入れたものなんだぜ」
だから、その持ち主は君じゃあなくちゃ、と貴方はくすりと笑んだ。
そうだね、と貴方の指先で弄った人形が無機質な頷きを返すのを満足そうに見ている。
ふわりと風が貴方の髪を揺らす。
やけに鼻につく甘ったるい香りが炎の中に吸い込まれて消える。
貴方は思い出したように風の宝玉を取り出した。掌の中でゆらゆらと揺れる宝玉。
貴方は思い出す。
エリザと名乗った槍の使い手を。
その穂先が触れあい火花を散らし己の掌に伝わった振動の恍惚を。
朽ち果てることの無い歌姫や神父の眷属を。
彼女の穂先が自分を貫き、そうしてその貫かれた部分が塵に変わりすぐにまた己の身体を構成していくその光景も。
そんな記憶を封じ込めて貴方はその宝玉を左の首筋に押し当てる。
一瞬だけ鮮烈な光が走って、それを知覚するより先にずぶりとその石は貴方の中に沈みこんでいった。
「ひょっとしたら君は、人形よりも宝玉を欲しがるのかな」
自分の身体に徐々に溶かされ、それと呼応するように香りの成分が変わっていくことに酷く安堵する。
また君に一歩近づけてるんだね、と喉の奥で笑いながら。
「……望むのなら、誰かから奪ってでも、手に入れてあげるけれど。
出来ないのなら俺の身体の核を壊してでも、――また物質化できるかはわからなくても」
朝はまだ訪れそうになかった。
陽の光は貴方を酷く悩ませる。その愛しき姫に満たされる思考がほんの僅かでも揺らぐ、その瞬間のことを考えなくていいというだけで貴方は酷く満足そうだった。
「でもね、アリス。俺のアリス」
くつくつと喉の奥で笑い貴方は締めていたネクタイを片手で少し緩めた。
ほう、と吐き出した息がとぐろを描いて沈殿する。
澱のように、静かに。
「俺は君に何よりも俺を求めて欲しいんだけどな。
だって、俺は君をこんなに求めてる」
「君の愛しい人が誰であっても、……俺は君のものなんだから」
貴方の夜はまだ終わらない。
わたしがひたすらに愛するひとのほうへ。
もしわたしの欲望ゆえにあのひとからうとまれるのなら
それは私の本意ではない
その苦しみはいばらよりも痛く胸を刺すけれども
喜びがその痛みをなおすことだろう
J.Rudel 『遙かなる地の恋人よ』
月が誰かの口のようにニイと笑んでいる。
そんな夜の中で貴方は読んでいた本をぱたりと閉じる。溜息。沈黙。
物語の中を旅することは貴方にとって格別の快感と疲労をもたらす。
その余韻をたっぷり二呼吸味わってから貴方はそれを己の、旅をするものとしてはやけに小ぶりなその荷物の中に無造作に放り込んだ。
揺れる荷物の上の方で、そんな様を笑ったひとかげに手を伸ばす。
それらの新たな御伽噺と同じように桜舞い散る中、あの褐色の肌を持つ子供から譲り受けた
掌の上の白猿の人形を見て、貴方はただ少しだけ笑みを零した。
「ねぇ、俺のアリス」
その独白は静かに、闇の中へ消えていく。
誰も聞くものは居ない。その影絵人形を除いて。
けれどそのことを貴方は厭う事は無く、まるで眠り子に物語を聞かせるように声音を紡いでいく。
「……君はこの人形を気に入ってくれるかな。
ふふ、でも君はきっともうたくさんの人形を持っているのかな?
それとも人形なんかいらないと勝気な瞳で俺を見るのかな」
温度を持たない指をその人形に触れさせると、かたりとその人形が動く。
ぱちぱちと辺りに破片を撒き散らすそのかがり火に照らされて地面に投影された影がぬらりと大きくその腕を動かした。
「でも、……それじゃあ困るな。だって、これは俺が君のために手に入れたものなんだぜ」
だから、その持ち主は君じゃあなくちゃ、と貴方はくすりと笑んだ。
そうだね、と貴方の指先で弄った人形が無機質な頷きを返すのを満足そうに見ている。
ふわりと風が貴方の髪を揺らす。
やけに鼻につく甘ったるい香りが炎の中に吸い込まれて消える。
貴方は思い出したように風の宝玉を取り出した。掌の中でゆらゆらと揺れる宝玉。
貴方は思い出す。
エリザと名乗った槍の使い手を。
その穂先が触れあい火花を散らし己の掌に伝わった振動の恍惚を。
朽ち果てることの無い歌姫や神父の眷属を。
彼女の穂先が自分を貫き、そうしてその貫かれた部分が塵に変わりすぐにまた己の身体を構成していくその光景も。
そんな記憶を封じ込めて貴方はその宝玉を左の首筋に押し当てる。
一瞬だけ鮮烈な光が走って、それを知覚するより先にずぶりとその石は貴方の中に沈みこんでいった。
「ひょっとしたら君は、人形よりも宝玉を欲しがるのかな」
自分の身体に徐々に溶かされ、それと呼応するように香りの成分が変わっていくことに酷く安堵する。
また君に一歩近づけてるんだね、と喉の奥で笑いながら。
「……望むのなら、誰かから奪ってでも、手に入れてあげるけれど。
出来ないのなら俺の身体の核を壊してでも、――また物質化できるかはわからなくても」
朝はまだ訪れそうになかった。
陽の光は貴方を酷く悩ませる。その愛しき姫に満たされる思考がほんの僅かでも揺らぐ、その瞬間のことを考えなくていいというだけで貴方は酷く満足そうだった。
「でもね、アリス。俺のアリス」
くつくつと喉の奥で笑い貴方は締めていたネクタイを片手で少し緩めた。
ほう、と吐き出した息がとぐろを描いて沈殿する。
澱のように、静かに。
「俺は君に何よりも俺を求めて欲しいんだけどな。
だって、俺は君をこんなに求めてる」
「君の愛しい人が誰であっても、……俺は君のものなんだから」
貴方の夜はまだ終わらない。
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