Day.35 |
07/16-17:52-COM(0)-TB(0)-記憶 |
「お前は、あの月に似ているな」
俺の記憶の向こうからそんな声が聞こえた気がした。
見上げた夜空には月など存在していなかった。
「お前は、あの月に似ているな」
縁側に腰掛けた俺の背後の闇から溶けいってしまいそうな淡い声が聞こえた。
つられるように見上げた夜空には月など存在していなかった。
「絳紅、お前の例え話は俺にはよくわからない」
お前はいつも俺を何かに喩う。
散った花。地に沁みる雨。脱ぎ捨てられた布。見えない月。
「今日は朔の月。――この空に月は存在せぬ、今は地の下を這っているのであろう」
「それが俺に似ている?」
「闇の裏にしか存在せぬというのに、朔月は闇しか作り出せはせぬ。
――それが後にこの空を駆け、地と花と罪人を照らす望月になると誰が想像し得る?」
御簾越しにお前が動いたのだろう、衣擦れの音がした。
油が自身を溶かす香りが少しずつ充満していく。もはや慣れたその独特の香り。
この姫の私室にはいつも香を焚き染めてあるけれど、その香りは俺と混じることもなく俺の肌の上を滑るだけのように感じる。
それはこの夜の帳を取り去ってしまっても同じことだ。
旧い文献を探し、その解読を行う絳紅の細く折れそうな白い指が俺に触れてもその香りは肌を滑るだけ。
風が室内に吹き込んで淀み溜まった俺と絳紅の香りを全て夜空に昇華させた。
炎が揺れる。虫の声。雨の気配がするようにも思えた。
「……すまぬ、戯言だ。夢と思え」
西の壁に俺とお前が影絵のように揺らめいている。
“それを言うならお2人共既に寿命とかそういう物からは解放されているじゃないですか”
それを聞いた時、貴方は改めて『ああ、そうなのだったな』と思った。
貴方は死んでいる。貴方には未来が無い。貴方の時間は止まった。
そう、貴方の時間は止まっているのに貴方には無限の時間が存在している。
(時計は壊れても時間は止まらない、か)
どこかで目にしたことがあるそのフレーズを唐突に思い出す。
それを言うなら俺の友人の時計はみんな壊れている、とも。
その物語はどんなものであっただろうか。
貴方は緩慢な通路を靴裏で刻みながらぼんやりと考えた。
目の前には何も変わらない道が広がっているだけだ。ただ少しだけ風の香りがする。
貴方の足音に重なるように蹄の音。二匹の駱駝は眠そうにその長い睫毛を揺らしている。
いつもは先頭で哨戒してくれる狼達の姿は見えなかった。
神父の足音はほとんどしない。歌姫はさらに輪をかけてそうだけれど、今は存在すら貴方の傍にはなかった。
視界を後ろにずらすとこたつの上に乗ったみかんが見えたけれど軽やかにスルーする。
こんなに多くの道連れがいるのは一体いつぶりのことだろう、と貴方は思う。
それは――忘れているのだとしても、貴方があの日にあの槍と炎で貴方の物語にインクを落とした時から数えても
非常に稀有でおかしな光景だったといわざるを得なかった。
(「……一人で血を浴びているのか」)
(「私の物になれ。それがお前のためだ――姫君を探しているのだろう?」)
最近、貴方はいろんなことを思い出す。
俺の記憶の向こうからそんな声が聞こえた気がした。
見上げた夜空には月など存在していなかった。
「お前は、あの月に似ているな」
縁側に腰掛けた俺の背後の闇から溶けいってしまいそうな淡い声が聞こえた。
つられるように見上げた夜空には月など存在していなかった。
「絳紅、お前の例え話は俺にはよくわからない」
お前はいつも俺を何かに喩う。
散った花。地に沁みる雨。脱ぎ捨てられた布。見えない月。
「今日は朔の月。――この空に月は存在せぬ、今は地の下を這っているのであろう」
「それが俺に似ている?」
「闇の裏にしか存在せぬというのに、朔月は闇しか作り出せはせぬ。
――それが後にこの空を駆け、地と花と罪人を照らす望月になると誰が想像し得る?」
御簾越しにお前が動いたのだろう、衣擦れの音がした。
油が自身を溶かす香りが少しずつ充満していく。もはや慣れたその独特の香り。
この姫の私室にはいつも香を焚き染めてあるけれど、その香りは俺と混じることもなく俺の肌の上を滑るだけのように感じる。
それはこの夜の帳を取り去ってしまっても同じことだ。
旧い文献を探し、その解読を行う絳紅の細く折れそうな白い指が俺に触れてもその香りは肌を滑るだけ。
風が室内に吹き込んで淀み溜まった俺と絳紅の香りを全て夜空に昇華させた。
炎が揺れる。虫の声。雨の気配がするようにも思えた。
「……すまぬ、戯言だ。夢と思え」
西の壁に俺とお前が影絵のように揺らめいている。
“それを言うならお2人共既に寿命とかそういう物からは解放されているじゃないですか”
それを聞いた時、貴方は改めて『ああ、そうなのだったな』と思った。
貴方は死んでいる。貴方には未来が無い。貴方の時間は止まった。
そう、貴方の時間は止まっているのに貴方には無限の時間が存在している。
(時計は壊れても時間は止まらない、か)
どこかで目にしたことがあるそのフレーズを唐突に思い出す。
それを言うなら俺の友人の時計はみんな壊れている、とも。
その物語はどんなものであっただろうか。
貴方は緩慢な通路を靴裏で刻みながらぼんやりと考えた。
目の前には何も変わらない道が広がっているだけだ。ただ少しだけ風の香りがする。
貴方の足音に重なるように蹄の音。二匹の駱駝は眠そうにその長い睫毛を揺らしている。
いつもは先頭で哨戒してくれる狼達の姿は見えなかった。
神父の足音はほとんどしない。歌姫はさらに輪をかけてそうだけれど、今は存在すら貴方の傍にはなかった。
視界を後ろにずらすとこたつの上に乗ったみかんが見えたけれど軽やかにスルーする。
こんなに多くの道連れがいるのは一体いつぶりのことだろう、と貴方は思う。
それは――忘れているのだとしても、貴方があの日にあの槍と炎で貴方の物語にインクを落とした時から数えても
非常に稀有でおかしな光景だったといわざるを得なかった。
(「……一人で血を浴びているのか」)
(「私の物になれ。それがお前のためだ――姫君を探しているのだろう?」)
最近、貴方はいろんなことを思い出す。
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